現在、その運営を中心に担う 福田秀一副院長に、病院の理念や思いについて「働く女性を応援するネットワーク型情報誌」を発行するアヴァンティ編集部の村山由香里さんがインタビュー。 求める人材像、これからの地域医療のあり方など、熱い対談となった。
久留米大学医学部卒業、医学博士、久留米大学外科学講師。専門分野は肝臓外科、消化器外科。久留米大学、済生会二日市病院の勤務を経て、2006年6月より現職。資格、役職は日本外科学会専門医・指導医、日本消化器外科学会専門医・指導医、日本肝胆膵外科学会評議員など。趣味は、テニス、病院運営、子どもと一緒に遊ぶこと。
九州大学文学部卒。1993年自宅マンションで起業、「働く女性を応援するネットワーク型情報誌」をコンセプトに、女性たちに勇気や希望や元気を与える情報誌づくりやイベントを手がける。2008年内閣府「女性のチャレンジ賞」受賞。主な公職に福岡県中小企業家同友会副代表理事、福岡県「子育て支援企業アドバイザーの会」委員ほか。
会社HP http://office.e-avanti.com/
今日はようこそお越しくださいました。
こちらこそ、ありがとうございます。福田病院が開院されて、2010年で40年ですね。
今日は病院の運営やスタッフの方への思いなどお聞かせください。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
福田副院長がこちらへ勤務されたのは2006年。
4年目を迎えて現在、どんな病院づくりをしたいか、という先生の思いをお聞かせください。
いつもみなさんから「どんな病院にしたいですか」と聞かれるのですが、「良い病院」、「愛される病院」、「質の高い病院」。そう言っています。
何か具体的な像を持たせてしまうと、きっと無理に形に当てはめてしまうと思うんです。
救急車が年間200台来る当院では、救命救急の先生も外科の先生は非常にアグレッシブです。「急患の方たちを受け入れる病院にしましょう」とおっしゃいます。
しかし、それだけではない、という思いもお持ちですか?

はい。病院には、救急で運ばれてくる患者さんがいらっしゃる一方で、「いつ退院するかわからない」、「何を退院のきっかけにしていいのか」、という方も多い。様々な病院を断られている患者さんたちもたくさんいるのです。
さらに、「家で介護をしていて、家族が本当に疲れているので入院させてください」ということもあります。よく他の病院でも、「いつまでも入院したままではなく退院をしてもらおう」と薦める場合があります。でも、どうしても私はそれには賛同できないんです。
救急の患者さんもいらっしゃるし、長く入院されている方もいる。そうすると、当院は「何でも屋さん」になるんです。私も長い間考えていましたが、「何でも屋」を看板にしてもいいのではないか、と思うようになりました。
なるほど。救急の患者さんも、プロフェッショナルに受け入れます、そして長く入院をされている患者さんも、さらに最期を迎えようとされている方たちもどうぞ、受け入れましょうという病院でありたい、ということなのですね。
はい、そうなのです。こういう思いに至ったのも、理由がありました。
ええ、ぜひお聞かせください。
私は6年前まで大きな大学病院で勤務医をしていました。
肝臓の手術もできるようになって、論文を書いて発表をして、講演もいくつもしてきました。少し有頂天になっていたのだと思います。
6年前に、「肝臓を切れる医者を」ということで、済生会二日市病院に派遣されたんですね。行ってみて、大学病院とのあまりの差に唖然としたんです。
済生会二日市病院へ行ったら、80代、90代の患者さんたちがたくさんいらっしゃるんですね。私たちがそれまでやっていた手術は、本当に患者さんのごく一部しか見てなかった。
大学病院にはどういう患者さんがいらっしゃるのですか。
大学病院には、50代60代の壮年層というか、比較的若い方たちの肝臓がんの治療がほとんどだったのです。
ところが、済生会二日市病院に行ったら、70代、80代、90代の患者さんがいる。本当に80代、90代の方たちがいっぱい寝たきりになっていて、色んなところから便のにおいがしたり、尿のにおいがしたりする病棟だった。「ああ、これが日本の医療の最前線なのだ」と、頭を殴られるような思いでした。
「これが本当の医療の最前線だ、高齢者の方たちに私は今まで何を治療してきたか」と本当に殴られるような想いがしましたね。
そうですか。なるほど。そういう体験をされてこちらの病院へ来られたんですね。
とってもいい経験ができた3年間だったと思います。